序章
長崎県には、戦没者や戦争犠牲者を慰霊する象徴的かつ中核的な場が二つ存在する。
一つは、大村市三城町、かつて三城城の本丸があった歴史の地に厳かに聳立(しょうりつ)する「長崎県忠霊塔」。
この塔は、県民の守護と平和への祈りを象徴する公的な場であり、建立の背景には県民の総意と尊厳の精神が深く関わっている。
忠霊塔は単なる祈念の場ではなく、過去の戦争や犠牲の記憶を現代に生かす象徴的な空間である。
もう一つは、長崎市城山町に鎮座する「長崎県護国神社」。国家や軍人の戦没者を祀る神社であり、格式ある神道儀礼を通して国家の安泰と英霊の鎮護を祈る空間が特徴である。
両者はいずれも慰霊を目的としているが、成立の経緯、祈りの形、立地や歴史的意味に大きな違いがある。忠霊塔は地域の歴史と県民の生活に根ざした象徴であり、護国神社は神社式の視点から祈りを捧げる場である。
本稿では、まず忠霊塔に焦点を当て、その背後にある三城城の歴史や土地の重層性を詳述しながら、長崎県民の平和と守護を祈る塔の成立と意義を紐解いていく。その上で護国神社との比較を行い、二つの慰霊の場がどのように歴史と現代をつなぎ、平和文化を支えているのかを考察する。
第一章 長崎県忠霊塔 ― 県民の守護神
長崎県忠霊塔は昭和9年(1934年)、県と県民の総意に基づき、建立された。
県(県忠霊塔建立委員会:大村連隊区司令部、大村連隊、長崎県および県下市町村で構成)の主導のもと、県民の浄財と勤労奉仕によって建設され、戊辰戦争以降の長崎県籍戦没者6万7百余柱の英霊を祀る、県としても県内の中核的戦没者追悼施設として位置づけられている。
戦争事変戦没者合同碑には遺骨が安置され、旧日本陸軍将校・下士・兵卒の個人墓も敷地内に残る。これらは、忠霊塔が単なる記念碑ではなく、歴史の「生きた証」として県民の目に触れ続ける場であることを象徴する。
戦時中は、「出陣式」などの行事や祭祀が行われており、戦後は、県や長崎県戦没者慰霊奉賛会(会長:長崎県知事)などが主催となり「長崎県戦没者追悼式」が大々的に催行さてきた。(現在、同追悼式は「シーハットおおむら」で催行されいる)
三城城本丸跡の重層的歴史
忠霊塔が建つ三城城本丸跡は、単なる城址ではない。古来より戦略上重要な城であり、武士や兵士が駐屯し、日常生活を営んだ場であった。さらに本丸周辺は、古来より武士や戦士の墓地としても使用され、郷土を守り戦に殉じた者たちの霊を祀る聖地であった。
忠霊塔の建立は、この歴史の上に立つ意味を持つ。「過去の戦いや犠牲の記憶の上に、県民の平安と守護を祈る」という象徴性が込められているのだ。ここでは歴史の積み重なりの上に、宗派や思想を超えた現代の県民の祈りが重なる。
忠霊塔は、ただの追悼の場ではなく、歴史と民の生活、そして平和への祈りが交差する「時空の重なり」を体現している。
県民の守護神として
忠霊塔の祭祀は日本古来の神式に基づくが、県民総意により建立されたことから宗派を問わず開かれており、戦没者のみならず原爆・空襲犠牲者も含めた慰霊が行われる。
長崎県殉国慰霊奉賛会(現:長崎県戦没者慰霊奉賛会)の設立趣旨には次のように記されている。
「この奉賛会は平和日本のため尊き礎となられた戦没者諸霊を慰め、県民の守護神として永く、その慰芳を伝え、平和日本建設の道義の昂揚を図り、かつ御遺族の援護に努むる目的を以って設立せられた」
忠霊塔は、県民の守護神として、平和と県民の幸福を祈る象徴である。現代においても、戦没者遺族のみならず多くの市民が参列し、地域史と慰霊、平和をつなぐ象徴としての存在感を放っている。
この塔は、単なる慰霊施設にとどまらず、歴史の重みと地域文化を未来に伝える「生きた文化遺構」としての意義も有する。
第二章 長崎県護国神社 ― 国家と英霊のための神域
長崎県護国神社は、二つの招魂社に起源を持つ。
1. 明治2年(1869年)、長崎市梅ヶ崎に戊辰戦争で戦死した藩士43柱を祀る梅ヶ崎招魂社。明治8年(1875年)には官祭に指定された。
2. 明治7年(1874年)、長崎市西小島に台湾の役の戦死者536柱を祀る佐古招魂社。以降、戦没者を合祀していった。
昭和14年(1939年)、両招魂社は制度改正により「梅ヶ崎護国神社」と「佐古護国神社」となり、昭和17年(1942年)に合併。内務大臣指定の長崎縣護國神社として現在地に社殿を造営、昭和19年(1944年)に竣工・遷座した。
原爆投下により社殿を失った後、御霊代は長与町岩渕神社、大崎神社、梅ヶ崎天満宮を経て再奉遷され、昭和38年(1963年)に再建。昭和41年(1966年)には神社本庁別表神社に加列され、今日に至る。
護国神社の祈りは神道的で、国家の安泰と英霊の鎮護を中心に据える。春秋の例大祭には自衛隊や遺族会、県・市関係者が正式参列し、厳格な神道祭式で慰霊が行われる。都市中心部に位置する護国神社は、国家的儀礼の場として全国的な慰霊を象徴するだけでなく、戦争の記憶と国家の歴史を次世代に伝える役割も担っている。
第三章 二つの祈りの交差点
忠霊塔は「県民の守護」、護国神社は「英霊の守護」を祈る場である。
忠霊塔は県民総意に基づく宗教・思想を超えた慰霊を象徴し、三城城本丸跡という歴史の上に立つことで地域史と平和の記憶を重ねる。
護国神社は招魂社の伝統に基づき、国家的神道儀礼として英霊の安泰を祈る。
両者は形式や立場が異なるが、共通するのは「命の尊厳と平和を祈る」という一点である。忠霊塔と護国神社は、異なる角度から同じ平和の理念を支える、長崎県における二つの精神的拠点である。
結び ― 歴史の上に息づく祈り
長崎には、国家と民、宗教と市民、過去と現在を結ぶ二つの祈りの場が共存している。
忠霊塔は三城城本丸跡に立ち、武士や兵士の霊の上に県民の平和を祈る塔であり、護国神社は英霊の神域として、国家と戦没者の鎮護を祈る神社である。
この二つの存在が、長崎の慰霊文化を豊かにし、戦争の記憶を未来へつなぐ礎となっている。
歴史と平和、過去と現在が重なり合う場所。それが忠霊塔と護国神社の本質である。
長崎の土地は、単なる過去の記録の場ではなく、今を生きる人々が歴史と平和を実感できる、生きた慰霊空間である。忠霊塔と護国神社は、そこに息づく「祈りの連鎖」を次世代へ伝え続ける存在なのだ。
長崎県忠霊塔は、現在長崎県戦没者慰霊奉賛会の連携のもと「公益研(長崎県忠霊塔参事局)」が維持管理を担っている。
この長崎県忠霊塔参事局では、清掃などの活動をともにする有志(ボランティア)を随時募集している。
公益研ウェブサイト
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長崎県忠霊塔参事局監主インスタグラム
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長崎連盟
公式ウェブサイト
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