カテゴリ:慰霊



社会・県民 · 3月 10日, 2026年
長崎県忠霊塔の建立から一世紀を見据え、戦没者慰霊の継承と平和への願いを国民の意思として示す署名活動「長崎県忠霊塔・一世紀国民の声 署名プロジェクト」が開始された。...
社会・県民 · 2月 17日, 2026年
長崎県忠霊塔(所在地:長崎県大村市)内の納骨堂「戦争事変戦没者合同碑」において、清掃および換気作業が行われた。本活動は月一回程度実施されているもので、長崎県籍の幾多の戦没者の御遺灰、御遺骨、御骨片等が御奉安される厳粛な空間の環境維持を目的としている。...

社会・県民 · 2月 11日, 2026年
2025年8月9日、長崎市の平和公園で被爆80周年となる長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が行われた。式典では、原爆死没者の慰霊と世界恒久平和への祈念が捧げられ、80年の節目にあたり核兵器廃絶を全世界へ訴えた。 式典において長崎県知事は慰霊の詞を述べ、平和の尊さと核兵器廃絶の重要性を強く訴えた。 以下に慰霊の詞を全文掲載する...
長崎通信社|静岡県、沖縄「静岡の塔」追悼式の様子
社会・県民 · 2月 10日, 2026年
静岡県は、令和7年11月6日(木曜日)に先の大戦で沖縄県及び南方諸地域において戦没された本県出身者に追悼の意を捧げるため、沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園内「静岡の塔」前で追悼式を実施した。 本年度は終戦80周年の節目に当たり、静岡県知事が参列。追悼の辞において、知事は次のように述べた。...

社会・県民 · 2月 10日, 2026年
鶴ヶ島市では、令和8年度に戦没者の慰霊巡拝を実施する予定である。昭和28年以降、国は戦没者のご遺骨収集に取り組んできたが、事業の性質上、すべてのご遺骨を収集することは困難であるとしている。そのため、「肉親が亡くなった地で慰霊・追悼をしたい」というご遺族の思いに応える形で、旧主要戦域や旧ソ連・モンゴル地域で亡くなられた方々を対象に慰霊巡拝を行う。 慰霊巡拝は、旧主要戦域ごとに計画的に行われ、地域周辺の海域では船舶を用いた海上での慰霊行事も実施される。また、抑留中に亡くなられた方の埋葬地がある旧ソ連・モンゴル地域でも行政区域ごとに巡拝を行う。巡拝の参加者は、選考基準に基づき選ばれたご遺族代表により実施される。 さらに、参加者への旅費補助金を取り扱う民間団体を公募する。対象は営利を目的とせず、規約に基づく会計処理や意思決定の方法が整備された法人または任意団体であり、選定された団体には参加者旅費の3分の1相当額が補助金として交付される。 慰霊巡拝では、巡拝団を班に分けて可能な範囲で現地での慰霊を行い、巡拝地域ごとに戦没者や抑留中に亡くなられた方への合同追悼式も行う予定である。事業の詳細については、予算成立後に改めて案内される。 ご遺族の慰霊・追悼の機会の充実が期待できる。 実施要領 [PDF形式/75.67KB] 令和8年度慰霊巡拝概要 [PDF形式/50.7KB] 慰霊巡拝遺族代表選考基準等 [PDF形式/113.81KB] 発行元:長崎通信社 提供元:埼玉県鶴ヶ島市
教育・文化 · 2月 09日, 2026年
1945(昭和20)年8月9日午前11時2分、アメリカ軍のB29爆撃機から投下された原子爆弾は、長崎市松山町171番地の上空約500メートルで炸裂した。原爆が炸裂した直下の地点が、現在「爆心地」と呼ばれている場所である。...

教育・文化 · 2月 06日, 2026年
長崎県忠霊塔の敷地内には、靖国神社から献木されたイチョウの木が存在することが、長崎県忠霊塔敬事会の調査で改めて確認された(令和8年2月6日)。この木は昭和55年(1980年)3月吉日に献木されたもので、戦没者慰霊と平和への思いを象徴する存在として、長年にわたり忠霊塔で静かに佇んでいる。献木当時の記録によれば、靖国神社と忠霊塔との間で戦没者追悼の想いを共有し、地域社会に平和の象徴を残す意図があったとされる。 献木イチョウの前には石標が設置されており、表面には「献木イチョウ」の文字、裏面には「靖国神社 昭和五十五年三月吉日」と刻まれている。この石標は、献木の由来と年月を明確に示す記録として、木の歴史的価値を裏付ける重要な存在だ。参拝者はこの石標を通して、献木された木が単なる植物ではなく、平和と慰霊の象徴であることを感じ取ることができる。 忠霊塔は長崎県内の戦没者を弔う中核的施設であり、六万七百余りの長崎県籍戦没者が合祀されている。全国的にも重要な慰霊施設として位置付けられ、地元住民や参拝者にとっては平和を考える場となっている。今回確認された献木イチョウは、靖国神社との歴史的つながりを物語る重要な資料であり、戦後の慰霊活動や平和教育の記録としても価値が高い。 イチョウは長寿や不変の象徴として知られ、その強靭な生命力は戦没者への敬意と平和への祈りを表すにふさわしい。単なる植物以上の意味を持つ献木として、地域の歴史や文化を伝える役割も果たしている。今後は、木の正確な位置や成長の様子、献木札や石標の文面などを詳細に記録し、平和教育や地域の文化財資料として活用する計画が進められている。 こうした献木と石標の存在を広く知ってもらうことで、戦没者への思いを再認識するとともに、地域社会全体で平和の価値を次世代に伝える契機となることが期待されている。 発行元:長崎通信社 提供元:長崎県忠霊塔敬事会
社会・県民 · 1月 28日, 2026年
長崎県忠霊塔敬事会は、長崎県忠霊塔における平和祈念活動の一環として、千羽鶴の製作と奉納を積極的に推進することを表明しました。敬事会は長崎県戦没者慰霊奉賛会に対し、「千羽鶴を通じた平和への思いを広める取り組みを進めたい」と打診しており、奉賛会もこの提案を肯定的に受け止めています。...

社会・県民 · 12月 30日, 2025年
長崎県忠霊塔(長崎県大村市三城町)は、県内出身の戦没者を追悼し、その御霊を慰めるために建立された県の中核的慰霊施設であり、実に67000余にのぼる御柱を合祀。納骨もなされており、戦争で命を落とした人々を悼み、平和への思いを次世代へとつなぐ場として、現在も県、長崎県戦没者慰霊奉賛会、長崎県忠霊塔崇敬会、奉仕人や県民などの公民を問わず大切にされている。 長崎県忠霊塔で執行される出陣式の様子 この忠霊塔では、かつて、長崎県籍の兵隊による出陣式(出兵式)が行われていた。 その郷土に伝わる記憶、伝承を、本記事に記録する。 出陣式とは、戦地へ向かう兵士が出発する前に行われた儀式であり、武運長久を祈願するとともに、地域や国家として兵士を送り出す意味を持っていた。戦前から戦時中にかけて、日本各地の忠霊塔、護国神社、神社、寺院や招魂社では、こうした儀式が公式、民間の主催を問わず広く行われ、長崎県忠霊塔もその一つであったと伝えられており、同忠霊塔で執行される行事は行政や軍主催の公式的なものであったようだ。 当時の忠霊塔は、戦没者を祀る場であると同時に、戦争という国家的事業と地域社会が連携する象徴的な空間でもあった。出陣式は、個人の意思によるものというよりも、社会全体が戦時体制の中に組み込まれていた時代背景のもとで実施されていた行事といえる。 地域の高齢者の証言や語り継がれてきた記憶からは、兵士本人やその家族、地域の人々が複雑な思いを抱えながら、その場に立ち会っていた様子もうかがえる。「群雄果敢な者」「不安を抱える者」など、出陣式には、行政や軍主催で数千人から時には数万人規模の人々が集まったと伝えられており、忠霊塔周辺のみならず、長崎県の地域を挙げた大きな行事の場となっていた。 会場には出征兵士やその家族だけでなく、地域の有力者や名士、関係団体の代表者らも姿を見せ、地域社会全体が兵士を送り出す構図が形づくられていた。その一方で、見送る人々の表情やしぐさからは、勇ましさや覚悟とともに、不安や悲しみ、別れの重みが静かに共有されていたという。 戦後、日本社会は大きな転換を迎え、長崎県忠霊塔の役割も変化した。現在では、出陣や出兵を送り出す場ではなく、戦争で命を落とした人々を悼み、戦争の記憶を伝え、平和の尊さについて考えるための場所として位置づけられている。 郷土に伝わる長崎県忠霊塔と出陣式の記憶は、戦争の時代に社会がどのように成り立っていたのかを知る手がかりであると同時に、忠霊塔の役割が変わった現在の姿を通して、私たち自身の価値観を静かに問いかけている。 発行:長崎通信社 日付:令和七年十二月三十日
特報・特集 · 12月 24日, 2025年
私たちは、亡くなった人々に向き合うとき、「慰霊」や「追悼」という言葉を自然に使っています。しかし、この二つの言葉は似ているようで、その意味と向き合い方には明確な違いがあります。その違いを理解することは、死者をどう受け止め、今を生きる私たちが何を引き継ぐのかを考える上で重要です。 〚慰霊とは何か〛...

さらに表示する