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九州総守護 四面宮 諫早神社の由緒概要

長崎通信社|九州総守護 四面宮 諫早神社の由緒概要
諫早神社

〚諫早神社の歴史〛


九州総守護 四面宮 諫早神社の創始は奈良時代・神亀5年(西暦728年)。聖武天皇の勅願により、行基が当地に赴き、石祠を祀ったのが始まりと伝えられている。国家安泰と民衆救済を願う祈りの場として創建されたとされ、古代から続く歴史を今に伝えている。


創建当初は、九州総守護の神々を祀る「四面宮(しめんぐう)」と称する神社であった。古来より諫早の氏神として地域の人々に篤く崇敬され、歴代領主の祈願所とも定められた。西郷氏、龍造寺氏、諫早氏など、戦国期から江戸期にかけての有力武家からも厚い信仰を受け、地域統治の精神的支柱となってきた。


明治時代の神仏判然令(神仏分離令)により、境内に並祀されていた荘厳寺は分離され、本尊などは近隣寺院へ移設された。この神仏分離を機に、社名を四面宮から「諫早神社」へと改称。以後は神社としての体制を整え、現在に至っている。今も地元では「おしめんさん(お四面さん)」の愛称で親しまれ、地域の中心的な社として崇敬を集めている。


〚ご祭神〛


諫早神社では、三柱の主祭神と九州総守護の四柱、さらに配祭神六柱を祀る。


主祭神は、天照大御神、大己貴命(別名・大国主命)、少彦名命の三柱である。


天照大御神は伊勢神宮に祀られる日本の総氏神であり、太陽神として広大無辺のご神徳を持つとされる。平和、家内安全、開運、福徳などあらゆる幸福をもたらす神として信仰されている。


大己貴命は出雲大社の御祭神で、縁結びや病気平癒で名高い。厄除、農漁業守護、子育て、学業成就、子孫繁栄など幅広い御利益が伝えられ、古くから人々の生活に寄り添ってきた神である。


少彦名命は大己貴命とともに国造りを行った神で、医薬や健康長寿の神として知られる。病気平癒や商売繁昌の神としても篤い信仰を集める。


九州総守護の神々(四柱)は、白日別命(筑紫国)、豊日別命(豊国)、豊久土比泥別命(肥国)、建日別命(熊曾国)。さらに猿田彦大神、八幡神社、天満宮、御霊宮、稲荷神社、太子堂(聖徳太子)、四面上宮などが配祭され、多様な神徳をあわせ持つ神社となっている。


〚ご利益〛


九州全体の守り神というご神徳はきわめて広大で、霊験あらたかな神社として現在も篤い崇敬を受けている。とくに「開運」「厄除」「健康」「病気平癒」の御利益で知られ、屈指のパワースポットとして県内外から多くの参拝者が訪れる。


また、13世紀後半の元寇の際、日本を守護した神々にまつわる神話が伝わることから、「国土安泰」「災難消滅」「守護神」としての御利益も広く語り継がれている。


〚四面宮とは〛


四面宮は『古事記』の国生み神話に由来し、九州(筑紫島)総守護の神々を祀る神社である。諫早神社だけでなく、島原半島を中心に数多く建立され、雲仙の四面宮が総本宮とされた。


諫早領内にも多くの分社が存在したが、現在は福田神社、宗方神社、西長田神社、深海神社などへと社名が改められている。


四面宮は「筑紫国魂神社」とも称され、九州一円の守護神として各地の大名や有力者から篤く崇敬を受けてきた。明治期の神仏分離令の影響で「四面宮」の名称は姿を消したが、島原半島には現在も十数社の温泉神社が鎮座し、その信仰は脈々と受け継がれている。


『古事記』には「次に、筑紫の島を生む。子の島もまた、身一つにして面が四つあり、面ごとに名がある」と記され、九州を四つの面を持つ島として描いている。この記述が四面宮の由来とされ、九州総守護の信仰の源流を今に伝えている。


発行元:長崎通信社

提供元:諫早神社