浦上川の川岸から稲佐山に至る小高い丘の上に位置していた稲佐国民学校は、昭和20年8月9日、児童は登校せず、職員は一人を除いて全員出勤していた。
原爆の炸裂により、南側の木造校舎は倒壊し、鉄筋コンクリート3階建校舎2棟も窓ガラスが吹き飛び、鉄製の窓枠が破損した。鉄骨トタン造りの講堂(体育館)は大破し、原爆炸裂時に発火したものの、初期消火活動により一部が焦げただけで全焼は免れた。
長崎市教育会による昭和20年10月の調査によれば、同校の昭和20年7月末の児童在籍は870人で、原爆による死者は105人、職員は6月末で24人在籍し、うち1人が死亡した。
発行元:長崎通信社
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