西北西0.8キロ 城山町1丁目護国神社は昭和17年12月に、本殿、祝詞殿、拝殿、神饌所、祭器庫、翼廊、大鳥居など主要施設が落成したが、原爆によりこれらはすべて全焼した。原爆当時の状況については、「八月九日 長崎市空襲災害概要報告書」において以下のように報告されている。
八月九日ノ空襲ニ依リマシテ御覧ノ通リ一瞬ニシテ吹キ飛バサレ、鰹木ノ如キハアノ通リ山ノ上ニハネ上ゲラレタノヲ初メ、大鳥居モ地下一メートルニ及ブコンクリート下ニ埋メラレテアリマシタガポット掘リ上ゲラレテ三間余飛バサレ、笠木ハコレマタアノ場所マデ来タ次第デアリマス。其ノ上類焼デハナク全ク自然発火ニヨリマシテ炎焼致シ、全ク灰燼ニ帰シタノデアリマス。
当日社司ハ市庁ニアリマシタタメ戦災ヨリ免レマシタノデ、急遽帰宅シテ早速御霊代ヲ長与村岩渕神社ニ奉遷致シマスト共ニ八方救助ニ当リマシタガ、不幸ニシテ社掌二名、工事関係者三名、教学課員四名死亡、社司ノ家族二名共重傷後死亡イタシマシタ。スナワチ当日、本神社ニアリマシタ者ハ全部死亡シタ訳デアリマス」
当日、社司は市庁にあったため戦災から免れ、急遽帰宅して御霊代を長与村岩渕神社に奉遷し、救助活動に当たった。しかし、社掌2名、工事関係者3名、教学課員4名が死亡し、社司の家族2名も重傷の末に死亡した。当日、神社にいた者は全員が死亡したことになる。
さらに、境内地一面に敷き詰められていた黒い玉石は、高台で遮るものがなかったため、熱線によって赤茶けて焼けていたという。
発行元:長崎通信社
提供元:ながさきの平和
